講師の浦川桃子これまでの人生をご紹介します!

生い立ち

神戸市で3人兄弟の末っ子として生まれる。

ピアノの基礎を!

幼稚園

姉がピアノを習い始め、私も一緒に習い始めた。

母が子供にピアノを習わせるのが夢だったようで、 アップライトピアノをすぐに購入。

初めてのピアノの先生は個人宅の先生で 1 年程習った。

先生が出産のため、他の個人宅の先生の所へ通い始める。

この先生は東京音大卒の先生で、きっちりとした指導をしてくださる先生で私のピアノの基礎を築いてくれた。

好きな曲はいっぱい練習

小学生

外で遊ぶのが大好き。

ピアノの練習はするときと、できないときのムラがあった。

練習して いかない時は、うまく弾けないので先生に怒られて泣きそうになったのを覚えている。

発表会とクリスマス会などあって、友達と一緒に 通うのが楽しくピアノが自然と好きになった。

好きな曲は、これ見よがしにいっぱい練習

そんなことも手伝ってピアノではどんどん上達していった、

発表会では割と最後の方に出演。

音感がよく譜読みが早いと先生にほめられた。

2 年生になるとバイオリンを習いはじめた。

バイオリンの先生は、優しすぎてなかなか上達しなかった。

3年生の頃からハノン、ソナチネを始める

弾けるようになることが楽しくて、自らピアノを弾いて いた。

音楽会になると必ず伴奏者になった。

ライバル出現!

4年生になるとライバル出現!

なんとピアノ男子だった。

伴奏オーディションでは、勝ったり負けたり・・・

卒業式では、校歌と卒業式ソング

両曲とも練習

ピアノ男子も相当練習しているよう・・・

持ち前の負けず嫌いが発動

めちゃめちゃ練習。

今でも覚えている

音楽室での出来事。

本番うまく弾けた。

ピアノ男子も上手!

ドキドキしながら先生の発表を待つ

校歌を弾く事になった

『やっぱももちゃんよね』

と友達に言われて誇らしかった

家に帰って母に報告するととても喜んでくれた

このころの文集には将 来ピアノの先生になる。と書いていた。

このころから漠然と音楽大学に行ってみたいな。

と思っていた。

ピアノに救われる

中学時代は色々な心の葛藤があったが、母が自然と背中を押してくれた。

好きなピアノがあったから乗り越えられ、自然の中へでかけてリフレッシュもしていた。

ピアノは受験になっても続けた。

練習時間は短くなったが、中学でも音楽会は伴奏 者に選ばれていた。

当時は進学校だった大磯高校へ入学。

バイオリンは中学 3 年生で卒業。

葛藤の日々

高校生になると、思春期特有の反抗期。

音大への夢はどうするの?と問われ、自分でもモヤモヤ葛藤していた。

ピアノも好きだし、部活もやりたいし、どうしよう。

母は、そんな私を見かねこっそり音楽の先生に相談したらしい。

すると、音楽の先生は

「音大に行かなくてもピアノの先生になれるし、ピアノが好きだからと言って音大にこだわる事はないよ。」

と言ってくれたそう。

自分でも葛藤が少し消 えてホッとしたのを覚えている。

そこから、さて自分はどうしたいのか考えるようになった。

ピア ノが好き。子供がすき。ということでピアノが弾ける幼稚園の先生になろうと決心。

幼児教育科へすすむ ことにした。

高校 3 年生でピアノレッスンは終了。

幼稚園の先生になりたい!

関東学院幼児教育科へ入学。

とても楽しい 2 年間。

ただ上手く自分をだせず人にあわせようと頑 張っていた自分がいる。

どこか自分に自信がなかった。

ピアノクラスでは上級コースに入る ことができ、よくショパンを弾いていた。

でも、上には上がいるので自信をなくし葛藤していた。

人と比べる悪い癖。

楽典は苦手だったが、ソルフェージュ、コールユーブンゲンは得意だった。

幼稚園の教育実習ではピアノ伴奏が一番楽しかったが、実習を通して上司の先生に色々指摘されるたびにへこんでいた。

英語劇とオーケストラ

大学在学中はシェイクスピア英語劇サークルに入部。

衣装係になり本格的な衣装作りに挑戦。

衣装ドレスも作れるようになり、先輩が私の衣装を着てくれている!と嬉しかった。

また、一緒に音楽を作り上げるオーケストラに挑戦しよう!と、

地元の平塚フィルハーモニー管弦楽団に入団。

バイオリンを再開した。

ここで、将来の夫に会うとは、まだ想像していない・・・

素晴らしきメソッドとの出会い

大学 1 年生の時に、ヨーロッパ幼児教育海外研修旅行へ参加。

ドイツのシュタイナー教育、イギリスの モンテッソーリ幼稚園を見学し衝撃をうけた。

シュタイナー教育は自然や芸術、音楽を大切にする教育。

不登校の子供も受け入れており、音楽はどんな子供の心も癒す力がある!と感動する。

これから海外でシュタイナー教育も勉強してみたいと漠然と夢を持ち始める。

夢破れて・・・

初めての就職先は、地元の私立幼稚園。

この幼稚園が私の運命をかえた。色々な事があり、1年で退社。

決心

姉が住んでいたアメリカネブラスカ州へ語学留学を決心。

全く英語が出来ない私が、やっていけるの?とも思ったが、迷いは一瞬だけ。

当時は怖い物しらず。

やりたい事はなんでも挑戦しよう!と決意。

1年間語学を学び、幼稚園や保育園でボランティア活動をすることにした。

広大な自然、アメリカ人の自由な自立した考え方に身も心も開放されていった。

自分らしく、ありのままの自分を出すことはなんて気持ちの良いことか。

幼稚園のボランティアやホームステイを通して日本の教育や子育ての考え方の違いを目の当たりにした。現地の幼稚園の先生はピアノをほとんど弾かない。

声のトーンも落ち着いていて、子供達と歌う時はCDか、アカペラでとても音楽的に歌っていた。

(日本の幼稚園の先生とは、正反対!?)

様々な国の人達と友達になり、考え方を共有し日本の良さも再認識。

世界が大きく広がる

1年で帰国予定だったが、どうしてももっと学びたくなり2年目はネブラスカ州立大学教育学科 家政学コースへ入学。

家族学や教育学を学び、保育実習をした。様々な国の教育事情も学び、さらに世界が大きく広がった。

帰国後はこの広い世界感を子供達に伝えたい!と夢がムクムクふくらむ。

ピアノは万国共通語

大学の多目的の部屋にはピアノがあり、気分転換によくピアノを弾いていた。

また、ホームステイ先にはピアノがあった。

讃美歌の楽譜がたくさんあり時間があるとピアノを弾かせてもらった。

「Hey! Momoko!もっとピアノを弾いて聴かせて!」

ピアノを弾くと、リクエストがありとても嬉しかった。

ピアノは万国共通の言語。

言葉が分からなくても音楽でつながれる!と、実感。

ピアノと英語で何か仕事が出来ないかな。と漠然と夢を持つようになる。

帰国後は、経験を活かし、子供向け英会話教室に勤務。

幼稚園から、中学生に英語を教える。

結婚

平塚フィルハーモニー管弦楽団で知り合ったチューバ吹きの夫と結婚。

若いころは、お互い在籍していたこともしらなかったのに不思議なご縁。

ピアノとチューバ、バイオリンとチューバ。

今でも、時々アンサンブルを楽しむ。

子育て

第 1 子を出産。

今まで幼児教育経験があるものの、子育ての難しさを痛感。

寝ない、良く泣く我が子にイライラ。

長女が 10 ヵ月の時に平塚市から山梨県へ転勤。

オーケストラを退団し、ピアノを弾く時間が減っていった。

長女1歳の時、静岡県へ転勤。

第 2 子を妊娠出産

環境の変化、子育てのストレスから身体に異変が起きる。

呼吸が苦しくなったり動悸がしたり、気持ちが不安定になった。

不安神経症だろう、と診断される。

なるべく手抜きをこころがけ、友人家族の助けをかりながら少しずつ回復。

第 3 子(ピアノ教室・英語教室)

長男を出産後すぐに、私の実家がある平塚へ引っ越し。

実家が近くなり、助けをかりながら気持ち良く過ごせるようになる。

長女が幼稚園に通うようになり、友達のお母さんから

「ももちゃん、うちの子に英語やピアノを教えてくれない?」

とお願いされ、小さなピアノ教室を開始。

英語教室は、近くに住んでいた姉が主催し、私がアシスタント。

英語教室では絵具遊びや料理、ピアノをとり入れたオリジナルのレッスン。

ピアノ教室も3~4人からスタート。

長男が 3 歳の時マイホームを購入。

ピアノの生徒さんも、口コミで増えていった。

忙しくもあり、ピアノを教えられる楽しい日々。

第 4 子(体の不調)

出産後は、半年間レッスンを休講。

レッスンを再開したものの、身体にまた異変が起こる。

疲労から過呼吸を起こし、救急車で搬送される。

4子が1 歳になるころ私の母が病気になり闘病。

とてもショックで心に大きなダメージを受ける。

介護と子育てに私の身体もさらに悲鳴をあげた様子。

教室はほぼ休眠状態

気持ちはあせるばかり。

音楽療法、森林療法、漢方、アロマ。

様々な自然療法を試した。

幸い、2年間かけ体調が回復。

この辛い経験から産後のお母さん達の助けになる仕事をしよう。

と新たな思いが湧いてくる。

少しずつ出来る事からやってみようとベビーマッサージやリトミックを勉強。

産後のお母さん達を助けたい!

ベビーマッサージ教室を開始し、英語リトミック教室へと拡大。

ピアノ教室も再開することが出来た。

4子は保育園に入園することができたので、様々な事に挑戦しようと決心。

体調の不安はまだあったが、ピ アノの指導スキルもあげたく、ピアノ指導法レッスンに通い始めた。

リトミックも本格的に勉強再開。

ピアノやリトミックを学ぶことで、心から音楽が楽しい!と思えるようになる。

音楽は心を癒す!

音楽は心を癒す力があることを切に実感。

現在は、心と身体のバランスもうまく保てるようになり、すっかり健康体になった。

音楽や人の温かさに感謝!

自分の子供達4人とも幼少期からピアノに親しみ、思春期に入ってからもピアノを心の癒しに、

日々頑張っている。

同じ小学校?

3人の子供は、私と同じ小学校を卒業し、なんと3人とも卒業式で校歌を弾く事になった。

私は、一切進めていないが自ら弾きたい!と立候補しオーディションに受かる。

末娘も将来校歌を弾きたい!といき込んでいる。

我が家の伝説になりそうだ。

現在はお蔭さまで、たくさんの子供達に通っていただき、日々楽しくレッスン。

家事とレッスンの両立に悩むこともあるが、色々な人に助けられて仕事が出来きることに感謝の毎日。

最後に

音楽も英語も万国共通。

ピアノも英語もできるようになると、どの国へいってもたくさんの友達をつくることが出来るし、自身の心の糧になる。

ピアノが弾けるようになると、考える力がつき、表現力も豊かになっていく子供達。

お母さん達の子育ての悩みも一緒にサポートし、心から音楽や英語を楽しめるように、日々子供達とレッスンに励んでいる。

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